平等院鳳凰堂って元々は別荘だったらしい
先日、平等院鳳凰堂に行ってみていろいろ知ったことがありまして。
学校の先生が教えてくれない内容だったので、共有できたらと思います。
平等院鳳凰堂は元々は道長の別荘だった
平等院鳳凰堂を建てたのは藤原頼通なのですが、平等院鳳凰堂として建立する前は、お父さんである藤原道長の別荘だったそうです。
だから、京都の中心地から離れていたり、鳳凰堂の周りに池があったりしたのか、と妙に納得しました。
平安時代に使われていた別荘だったら、寝殿造が採用されていたはずなので、大きな池があってもおかしくないのですよね。
別荘を寺院に変えた理由
では、どうしてわざわざ別荘を寺院に変えたのでしょうか?
答えは、仏の暦に関係があります。
その頃は、末法の世という、釈迦がお亡くなりになってから相当時間が経ってしまったがために教えだけがこの世にあってそれを実行する教徒がいない世界になっている時期、と考えられていました。
仏教の教えが広まっていないと災いが起こると信じられていたので、別荘を平等院という寺院に建て替えたということです。
当時の政治には、仏教の教えが重要なポジションを占めていたことがわかりますね。
鳳凰堂は当時のままで保存されている
平等院にはさまざまな建物が周りにありますが、その中で鳳凰堂のみ平安時代当時のまま受け継がれています。
もちろん、修理はしていますが、全て建て替える、ということはしていません。
平安時代を感じることのできる、貴重な空間ですね。
学校で唐突に「平等院鳳凰堂は藤原頼通によって建てられた」と習った時は、どうしてそこだけ後付けみたいに出てきたのだろう?と疑問に思っていました。
今回、その理由が、平安時代の建築様式を残しつつ、当時の思想を色濃く反映された建物であることが分かりました。
非常に有意義で、長年疑問に思っていたことが一つ解決して、スッキリしました。
このように、今後も、小さなことだけれども疑問に思っていることを解決していければいいな、と思っています。